2011年4月9日土曜日

Japan Earthquake:仙台市の海岸部の状況

4週間目になるきのう、若林区の海岸部を初めて見てきた。
テレビや写真で、どうなっているのかは伝えられているが、現地に行くと、そんなものではまったく伝えきれないすさまじさ。もうほとんど以前の状態に戻っている仙台の中心部から、車で10分ちょっとのところに、こんな状況が広がっていたとは。これから何回も見ることになるかもしれないが(復旧は相当期間がかかりそう)、衝撃が残るうちに書いておく。

仙台東部道路がこちらと被災地を分ける境界線

仙台東部道路に近づくと、ガレキが点在しはじめて、ちょっと緊張する。東部道路のところで交通規制をしていたが、被災地での運転は飯岡で慣れている。別のところで、東部道路の盛り土のトンネルを抜ける。その向こうは、別世界のよう。

まともに立っているのもが何もない

もともと水田地帯で、集落が点在する地域だが、鉄筋の建物や、一部の民家、竹林などを除いて、まともに立っているのもが何もない。
バス停、道路標識、信号機など目印になるものが何もない。コンクリートの電柱も根元から折れて倒れてたり。これは阪神のときもなかった風景。
田んぼには一面のガレキ、といっても、積もっているのではなく、ばら撒かれている感じ。人口密度が低いからか。ガレキといっても、材木のほか、木の枝も多かった。しかしその中に、大木、自動車やコンテナ車両(倉庫だったもの)といった大きなものがあちこちに転がっていて、現実感のない不気味な光景。

不気味な静けさ

あたりは静か。飯岡では重機の音があちこちでしていたが、ここではほとんどみない。トラックを主とした車がたまに通るだけ。人もほとんどいない。住民もボランティアも。家が残ってないから片付けの必要さえない。

まだほとんど手付かず

4週間たって、まだこの状況。ここは水が引かなかったせいもあるが(海に近い一部はまだ冠水していた)、道路(といっても2車線以上と一部の道路だけ)上のものを両側にどけて通れるようにしただけだろう。これだけの広さにばらまかれたガレキの撤去にどのくらいかかるのか想像もできない。おそらくあと数ヶ月この風景はあまり変わらないだろう。

海は昔のまま

通れる道路を探しながら、名取川の河口ちかくまできて、初めて海が見えた。動画でよく見る10mの壁が、いま迫ってきたらと想像するとぞっとする。
そこから、荒浜をめざした。新しい住宅地だが、土台だけしか残ってない区域もある。この辺の海岸で唯一、貞山堀の橋を車でわたれて海岸まで出られる深沼海岸。前に来たときのことが思い出されてつらい。この付近で2-300の遺体が放置されていたというニュースのことはそのときは思い出さなかった。砂浜はきれいで、漂着物は片付けられていた。花束が2つ、置いてあった。

被災地の圧倒的な広さ

回ったのは東西約3km、南北約5kmのエリア。
やられたのはそのすべて。特にここがひどいというところはない。この無差別性は津波災害の特徴。
走っても走っても同じような光景が続くと、だんだん気がめいってくる感覚になる。でも、これは「壊滅的」な被害の出た約400kmのほんの一部にすぎない。この災害の全体はどう表現すればいいのか見当もつかない。

0 件のコメント:

コメントを投稿